http://www1.jca.apc.org/aml/200101/20474.html
森首相の「アジア情報技術(IT)ネットワーク構想」へ
>けんかは相手がいないとできませんから、「サイバー攻撃」ができる 環境づくりに日本が「営業マン」役。
>陰、日向なく「貢献」する日本あっての、 米の情報優位。
サイバー攻撃への下地作りとまで想像を膨らませられるなんて、その想像力少し分けて欲しい
http://www1.jca.apc.org/aml/200103/21312.html
この非武装非暴力について語ってる文で
>私は攻撃されても、武装反撃をしない。しかしそれは抵抗しないということで はない。私は攻撃し占領する者に対して
>積極的、主体的な市民的不服従を実践 する。「ハンガリー事件」と呼ばれた、ソ連軍(当時)による軍事介入がハンガ リーに
>なされた時(1956年)のことと記憶する。ソ連軍の兵士が空腹の余 り、ハンガリーの民家を訪れてパンを乞うた。
>しかしパンを差し出す人はいな かった。兵士は空腹に耐えきれず、ついに発狂したという。 私がイメージする抵抗は、そういうものだ。
発狂してどうなるかは思い浮かばないのだろうか?、第一戦争を仕掛けてくる国に「侵略反対!」と言って通じるのか?、この連中は反対運動が相手国のをも動かせると思っているようだが、相手国の国民は動かせても独裁国家にはそんなのは通じないのは周知の事実だが
http://www1.jca.apc.org/aml/200105/21958.html
この中で「軍隊は軍隊しか守らない」との極論
>軍隊は、平和を 不倶戴天の敵として憎むのだ。「軍隊は軍隊を守る、軍隊しか守らない」と私は確信する
自衛隊ほど平和を望む集団もいないと思うのだが、こう書くと臆病ですぐ逃げ出すんだと思われるだろうが、軍隊しか守らないんじゃなく軍隊には守られたくないの間違いだろ
http://www1.jca.apc.org/aml/200108/22958.html
この中で相変わらずの非武装抵抗論を述べた後
>自衛隊のポスターに「守りたい人がいる―陸上自衛隊」とある。しかし自衛官たちは、誰か守りたい人がいるから
>自衛官になったのだろうか。かりに自分の家族や恋人を守りたいと思って入隊したとしても、いざ戦争となれば
>自衛官たる彼ないし彼女は、命令に従ってなんらかの任務につくのだから、勝手に部署を離れて〈守りたい人を守る〉ことはできない。
>ポスターのキャッチフ レーズは、どう考えてもインチキだが、守りたい人とは、あるいは天皇のこと であろうか。
「有事の際には家族は守れない」→「キャッチフレーズはインチキ」→「守りたいのは天皇」という考えが出来るのは感心するばかり、このような人も守らなければならない自衛隊が可哀想だ
http://www1.jca.apc.org/aml/200108/23195.html
天皇と自衛隊を無理矢理結びつけたい模様
>タテマエ上、自衛隊は首相に忠誠を誓うのである。「シビリアン・ コントロール(文民統制)」の原則によって、自衛隊は
首相の命令に服従せ ねばならない。だが、それを良しとしない自衛隊の幹部たちは、「日本国の象 徴」である天皇に
>〈ひそかに〉忠誠を誓うことになる。こういうダブル・ス タンダードが、自衛隊幹部の胸中に秘められていることを、見逃してはならな い。
>ここからは、実にやっかいな問題が生じる。「天皇の軍隊」たることを渇望する部分が、先述のネジレを解消するために
>クーデターを夢見る衝動が、不断に湧き出すからである。
この発言の後三島由紀夫の事件を出し根拠としている、いつの話してるんだろ、昔の軍隊と三島由紀夫の事件当時と一緒としか考えられないのは、思考が戦争当時から止まってるとしか考えられないのだが